雲洞庵:新潟県南魚沼市

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【 概 要 】−雲洞庵(新潟県南魚沼市)は奈良時代には先妣尼が草庵を設け、境内から湧き出る霊水を利用し人々を病から救ったとの伝承が残されています。先妣尼が亡くなると、息子である藤原房前(藤原鎌足の孫)は母親の縁のある当地に金城山雲洞庵を設けて菩提を弔いました。当時は藤原氏縁の寺院として大きく栄えましたが、中世に入ると藤原氏の衰退と共に衰微し境内も荒廃しました。応永20年(1420)、関東管領上杉憲実は上杉家が藤原氏出身だった事から改めて顕窓慶字を招いて雲洞護国禅庵として再興し律宗から曹洞宗の寺院として改宗させました。顕窓慶字は新潟県村上市に境内を構える耕雲寺を開いた傑堂能勝に師事し、応永34年(1427)に傑堂能勝が死去すると耕雲寺を継ぎましたが、寺領の全てが略奪され、再興出来ないまま雲洞庵に移ったとも云われています。雲洞庵の開山堂には、中尊として顕窓慶字の木像、右脇侍は師である傑堂能勝の木像、左脇侍は中興2世の雲窓祖大和尚の木像が安置されています。戦国時代に入ると長尾景虎は関東管領の役職と上杉家の名跡を継ぎ上杉謙信(春日山城の城主)を名乗った事から、引続き庇護しました。又、当時の住職だった北高全祝は武田信玄に篤く帰依され永禄10年(1567)頃に信州佐久郡岩村田に招かれ龍雲寺(長野県佐久市岩田村)を開山し武田領内の曹洞宗寺院の僧録所となっています。雲洞庵は上杉景勝が幼少時の学び舎だった事から謙信の死後も跡を継いだ景勝が庇護し慶長3年(1598)に会津黒川城(福島県会津若松市)に移封になるまで続きました。雲洞庵は、上田長尾氏の居城である板戸城に近くに位置している事から関係が深く、景勝の実父(長尾政景)の兄が第13世通天存達大和尚とされ、景勝の側近で上杉家の執政を担った直江兼続の兜の前立ての「愛」という文字は、通天存達大和尚の教えが大きな影響を与えたとされます。江戸時代中期以降になると一般庶民にも信仰が広がり、特に参道の石畳の下に法華経を一字ずつ書き込んだ小石を敷き込んだ事から、参道を歩くだけで御利益があるとして「雲洞庵の土踏んだか」と謳われました(別説では「雲洞庵の土踏んだか、関興寺の味噌嘗めたか」の意味は名刹である両寺で修行を行わなければ一人前の僧侶とは言えないとの戒めとも)。寺宝が多く、上杉謙信や上杉景勝、直江兼続、武田信玄、萩田主馬など縁の品々を多数所有し、江戸時代中期に再建された雲洞庵本堂は貴重な事から新潟県指定文化財に指定されています。
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