横蔵寺:岐阜県揖斐川町

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【 概 要 】−横蔵寺が何時頃から信仰されているのかは判りませんが、後年制作された寺伝によると平安時代初期の延暦20年(801年)、又は延暦22年(803)、又は延暦24年(805)に日本の天台宗の開祖である最澄が自分で彫刻した薬師如来像を安置する為に一宇を設けた事を起源としています。横蔵寺で本尊として祭られている薬師如来像は最澄が比叡延暦寺の本尊である薬師如来像を彫刻した際、同じ木の残りを利用して制作したものとされ、桓武天皇の勅願により、その薬師如来像を最澄が自ら背負い、聖地を求めて諸国を歩いている時に、円山を指し示すように横になったまま動かなくなった事から、円山に一宇を設ける事になったそうです。寺号の「横蔵寺」は薬師如来像が「横」になった事に由来し、堂宇の造営には地元の有力者だった三和次郎大夫藤原助基が尽力したとされます。その後は、当地方の天台宗の拠点の一つとして大きく発展し多くの坊、末寺を持つ大寺院となったようです。客観的な資料はありませんが横蔵寺に祀られている木造深沙大将立像は平安時代の特徴がある仏像で、大日如来像には寿永2年(1183)の銘が残されている事から少なくとも平安時代末期には横蔵寺が存在し、良質な仏像を所有出来る実力のある寺院だった事が窺えます。戦国時代に織田信長の侵攻により記録、古文書等が焼失し、中世もどの様な信仰が成されていたのかは判りませんが、鎌倉時代初期に制作された木造金剛力士立像や、鎌倉時代後期作と推定される木造薬師如来坐像、室町時代に制作された木造四天王立像、木造十二神将立像など中世の仏像を数多く所有している事から大きく繁栄していた事は間違いないと思われます。江戸時代に入ると現在地に境内を移し再興が図られ、現在横蔵寺に残されている三重塔(寛永年間建築、岐阜県指定文化財)や本堂(寛文年間建築、岐阜県指定文化財)、仁王門(江戸時代初期建築、岐阜県指定文化財)などが随時整備されました。以上のように横蔵寺には数多くの仏像や寺宝を多数所有している事から「美濃の正倉院」の異名があり、特に秋の行楽期間には紅葉を楽しむ参拝者が数多く訪れます。西美濃三十三霊場第1番札所。
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